自転車購入記 その1 「80年代の自転車少年編」

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世田谷から多摩ニュータウンへ引っ越しが決まりつつあったある日、ふと思った。

「自転車買おう」

思えば思うほど久しぶりの自転車!!。選ぶのにもテンションが上がる。

さあ何にしよう?。まずはネットから・・なんだか自転車の雰囲気が変わっていてよくわからない。お店行ったりカタログ集めたりネット見たりお店行ったり・・・ん?シボレーって?・・クロスバイクって何?サスペンション付きがあたりまえ?・・スポルティーフは?


早くも洗礼を受け、いきなり浦島太郎状態

・・・・・・・・・・・やばい!ちゃんと調べて買わないと後悔しそう。25年以上完璧に別世界だった自転車ワールド。ものすごく進化していた。まさに浦島太郎。ここで何も気にせずその辺で買ってきちゃう性格だったら、どんなに楽なことか。

そんなことできるわけが無い。


※注
ホームセンターや量販店等に売っている”マウンテンバイクルック車”などは、見た目は頑丈そうですが、「オフロード走行禁止」の注意書きがあると思います。きちんと山道を走るように設計されていない自転車は強度不足の可能性があるので、このような自転車での山道走行は絶対に止めましょう。



さかのぼること小学生。思えばこれがルーツ。

父親に買ってもらったセミドロップハンドル、チェンジレバーがトップチューブにある自転車がコトの始まりだった。

5段変速。元来なんでもいじり潰す性格なので、当然のごとくそのまま乗っていられる訳がない。

両親の話だと、赤ん坊の時にベビーベッドをバラバラにしてたらしい。「いったいどうやって!?」と開いた口がふさがらなかったそうだ。


当然、泥よけからキャリアからライトから全部取っ払い始めた。バブー!

「コラなんてコトすんだ!!もう買ってやらんぞー!!」と父親に怒られながらも、友達とチェーンホイルを一枚足したり、オールラウンダーバー(懐かしい響き)に替えたりと序々に変化していく。いわゆる「つるし:ノーマル状態」の自転車はどんどん「ボクの自転車」になっていった。

そして毎日のように公園の岩場を嬉しそうにゴトゴト走り回っていたら、Fフォークが内側にひん曲がった。思いきり。しかしおもむろにホイールごとつかんで前に引っ張ったらグニュ~って戻った。どんだけヤワな材質なんだいYOUNG S。

ARAYA MUDDYFOX(マディーフォックス)現る

そんな毎日泥んこまみれで走り回っていた僕の前に突然現れたのが、友達の乗った「ARAYA MUDDYFOX」。初めて見たマウンテン「バイク」なるモノに大大大衝撃。今でも忘れられない。

「自転車なのにバイク!?。・・でもたしかにバイクって言ってもいいくらいの大迫力!!。」
小学生で自転車をバイクって言う事なんか知ってるわけない。

地球の果てまで行けそうなモトクロッサーみたいなぶっといタイヤ、泥がつまりにくいというカンティブレーキ、クロモリのフレーム、ギアがたくさんついていて、どんな坂でも上れそうな軽いギア!。手元で変えるチェンジレバー。あぁなんてカッコいいんだ・・欲しいよう・・・

ARAYA HURRYROAD(ハリーロード) 

しかし、双子の小学生の分際で「お父さん、アラヤのマディーフォックスが欲しい。¥106,000。」などとは死んでも口に出せる訳がない。なんてったって双子は全部「×2」である。

ロードマンじゃなくロードエースでなくカリフォルニアロードでなくパラボロードでもなく同じARAYAのハリーロードを選ぶ事で我慢ができた。でも双子=2台で¥100,000!。お父さん、買ってくれてありがとう(涙)。

夏休み、双子の兄とそのハリーロードに跨り、八王子から20号を走り目指した河口湖。小学生でも一日に150km以上走った。あれからあちこち走り回って、そういえば真冬に帰りに道志街道の入り口を間違えて、雪深くなった峠道で遭難しかけたコトもあったな・・。

たまたま雪で立ち往生していた車のお兄さんが同じ八王子方面の人で、意気消沈していた少年2人を、チェーンを着けた後八王子まで送り届けてくれた。自転車二台を屋根のキャリアにのせて。・・あのときの赤い車のお兄さんとお姉さん、ほんとうにありがとうございました。あれから無茶なサイクリングの計画はしなくなりました。

変な中学生

中学に入ってサッカー部に入ったものの、チームプレーがどうも苦手。部活サボって自由気ままに走りまわってるうちに行動範囲はみるみる広がっていく。学校が終わると、まっさきに友達と小1時間走って高尾山へ。もちろん自転車を押して担いで頂上へ。エアコンの断熱に使うスポンジのクッションみたいなのをフレームに巻いて担いでた。・・・体小さかったのに重くなかったのか!?と、今思う。

頂上でやる事は、お年玉で買ったイワタニプリムスの黄色いコンロ(いまだ現役)にジッポーで火をつけて、ミロのパーコレーターでお湯お沸かし、シェラカップで「インスタントコーヒー」を飲む。いっちょまえの大人になった気分はもう最高。中学生に「挽いた豆」なんぞ買えないがそんな事はどうでもよい。大人のアウトドアマンに憧れる少年はとにかく雰囲気が大事。真冬は寒くて目が開かないから安物のスキーゴーグルをかけて走った。

晩ご飯は家で食べないといけないから、飲んだらそそくさと下山するわけだけど、記憶を辿ると稲荷山コースか琵琶滝コースを走るコトが多かったかな。今より根っこが出てなくて結構乗って走れた気がする。真っ暗の時は1号路でコンクリートの道を下りていた。ミシュランなんかに紹介される遙か昔。平日は誰もいなくガラガラだった。

休みの日は人馬~高尾縦走路へ何回も行った。あれはもう空前絶後の楽しさだった!!。今も走れるのかな?。そういえばあのころ神奈川のヤビツ峠はほぼ全線ダートだった。

広がる景色

国道、峠越え、ダート、登山道、輪行も覚えた。それにともない自転車の仕様がどんどん変わっていった。ライトを吊す「ヤジロベー」とかハブを止める「蝶ネジ」、六角レンチ差して回す「輪行用ヘッド」なんて今でも売ってるのかな?。

友達経由で手に入れたと思うが、2回フレームが変わり最後まで残ったのはシートピラーだけ。当時珍しかった黒いMAVICのリムを清水の舞台から飛び降りながら買った。ランドナーもどき→パスハンターもどき→ロードもどきと変化していった。

・・ん?なんか変??。そう、700×28Cの細いオンロードタイヤとドロップハンドルで国道を爆走しつつ登山道も走ってた。まともに乗れるトコそんなにないし出せるスピードもたかがしれてるけど。中学生の高学年の頃は、やりたい事全部いっしょくたでメチャクチャ(笑)。何も気にせず楽しい事をやっていた。




1980年代のサイスポ誌

なぜかって、MTBはもちろんカッコよかったし、まだ団地の中にあったサイクルショップツルオカ(現ピットツルオカ)の常連さんのメッキがギラギラのランドナーも渋かった。

1981年頃から愛読していたサイスポのツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアの記事には、当時全盛期のベルナール・イノーローラン・フィニョングレッグ・レモンの華やな姿が。

LOOKのカチッ!とはまるクリップオンペダルはセンセーショナルだった。あとはオークレー(当時はオークリーとは言ってなかった気がする)のサングラス、ディスクホイールにTT用ファニーバイク。

そういえばLOOKのグレーのレーサーシューズをサイクルショップツルオカで買ったなあ。豊田の駅近くに移転した頃だった。あれは紐じゃなくてマジックテープで止めるヤツ。お金が無くてペダルまで買えずトークリップを使っていた(笑)。とにかく全てのスタイルがカッコよくて、あれこれと影響受けまくって妙なスタイルになっていた。自転車に乗ること自体が楽しくて仕方がなかった。

自転車購入記 その2 「29er?」 へ続く。

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